シルクロードのオアシス・中国「敦煌」へ|旅行記

written by:インフィニ社員

中国・西安に始まるシルクロードは、黄河の西を走る河西回廊の4つの都市-武威・張掖・酒泉・敦煌を経てタクラマカン砂漠に入りますが、そのタクラマカン砂漠の入り口に位置する敦煌は中国シルクロード最大のオアシス都市として、漢代から唐代にかけて栄華を誇りました。
井上靖氏の小説と映画でその名を知られ、いわば中華文明の西端にあたる敦煌は世界遺産・莫高窟でも有名ですが、この敦煌を隅々まで探検してみました。

 

1. 今に残るオアシス「月牙泉」と見渡す限りの砂漠「鳴沙山」

敦煌へは北京・上海から国内線で
甘粛省の西端・敦煌へは、北京か上海から国内線で向かうのがメインルートです。北京からは約3時間30分、上海からは約4時間30分の道のりです。
敦煌空港から市内へはシャトルバスかタクシーで15分ほど。タクシーは台数も多く、非常に使い勝手が良いのが印象に残りました。今回は、敦煌でも最も歴史のあるホテル「敦煌賓館」に旅装を解きます。

鳴沙山の上から月牙泉の絶景を望む
まずは、市街の南にあるオアシス「月牙泉」と「鳴沙山」に向かいます。こちらもタクシーで約10分の道のり、料金はおよそ15元(約350円)ほどです。
入場門を進むと、早速目の前に巨大な砂漠の山「鳴沙山」が見えてきます。この鳴沙山、敦煌市街の南を東西40キロに渡り広がる広大な砂漠で、砂山の間を月牙泉まで舗装された通路が整備されています。ラクダに乗ったりシャトルカーを利用したりすることもできますが、時間もあるので歩いて「月牙泉」へ向かいます。
歩いて15分ほどで月牙泉に到着します。左側に、鳴沙山に登る階段が見えるので、これを登ります。砂に埋もれた階段はとても登りにくいのですが、ウォーキングシューズで何とか歩みを進めて20分ほどで山頂に到着です。
ここからは、前を見ても後ろを見ても絶景です。前には、莫高窟まで続く砂漠が視界の限り続いていますが、視界が全部砂漠というのは日本ではなかなか経験できないことです。そして、後ろを見ると月牙泉が、その名の由来となった三日月の形を見せています。何千年もの間、このシルクロードを行きかう人や駱駝ののどを潤してきたオアシスが眼下に控え、その向こうはこちらも砂漠が続いています。

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月牙泉
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鳴沙山

 

2. 世界遺産「莫高窟」は特別窟にその精華あり

莫高窟は早期の予約が必須
翌日、いよいよ今回の旅のメインイベントである「莫高窟」を訪れます。1987年に、万里の長城や故宮博物院と並んで中国では最も早く世界遺産に登録されたここ莫高窟は、井上靖氏の小説「敦煌」でもその名を知られ、中国でも有数の観光地となっています。約4週間前から予約ができますが、いつも早々に満員になってしまいます。私も、4週間前に予約をしてこの日に備えました。

まずは映像ショーを見学
チケット売り場でパスポートを見せてチケットをもらい、入場門に並びます。まずはシアターに誘導され、敦煌の歴史についての短編映画と主要な石窟についての案内という2つの映像ショーを別々のシアターで見学します。アナウンスは中国語ですが、外国人観光客には各国語の音声ガイドが渡されますので大丈夫です。
約30分の映像ショーを見終わるとバス乗り場に誘導され、シャトルバスで莫高窟へ向かいます。シアターから莫高窟まではおよそ20分の道のりです。

日本語のガイドツアーで一般窟を見学
莫高窟に着くと、中国人と外国人で導線が分かれます。中国人は、到着した順に整列して20人ずつくらいがグループになり、ガイドさんによりグループごとに石窟を8か所見学します。500近くある石窟の中からどこを見学するかはガイドさんの判断に任せられるようです。一方、外国人は専用の待機場所で待つことになりますが、しばらくすると日本語のガイドさんが来て誘導されます。今回はラッキーなことに他に日本人がいなかったため、ガイドさんとマンツーマンでの見学になりました。
外国語ガイドの案内も、「一般窟」と呼ばれる石窟を8か所見学しますが、別料金を払うことで「特別窟」と呼ばれる芸術性の高い石窟を見学することができます。いつ申し込むのかな、と思っていましたが、この時点でガイドさんに「特別窟はどうしますか?」と聞かれたので「もちろんお願いします!」とお伝えします。
45窟、57窟、275窟の3か所を見学することにして、1か所200元(約4,700円)、合計600元を現金でガイドさんに支払います。QRコード決済全盛の中国で、なぜかここだけは現金決済でした。 支払いが終わるとまず一般窟へ。この一般窟、全グループが共通して見学する石窟とガイドさんが選択する石窟とがあるようで、共通して見学する石窟として16窟、17窟、61窟、96窟、その他に259窟、329窟、332窟、428窟を見学します。今回、この4か所は一般窟としては壁画や塑像の芸術性の高い、いわば「当たり」の石窟でしたが、特別窟を3か所もお願いしたのが効いたのでしょうか・・・。

さらに素晴らしい特別窟の数々
一般窟の見学で約2時間、時間は11時です。ここから特別窟の見学に移ります。
まずは盛唐期、8世紀に造られた45窟。特別窟と言えば45窟、というほど有名な石窟で、中心にある七尊像で知られています。1,300年前に造られた仏像は往時の美しさを保ち、特に菩薩像は東大寺三月堂の日光・月光両菩薩像や秋篠寺の伎芸天との共通性を感じさせる優美なものとなっています。これらの仏教芸術を4,700円で独り占めできるとは夢のようです。
続いて初唐期、7世紀に造られた57窟へ。こちらは菩薩像の壁画で大変有名な石窟で、平山郁夫画伯が絶賛したことでも知られており、この菩薩像壁画には法隆寺金堂壁画との強い共通性も感じられます。近づいてみると、金の装飾が浮彫で立体的に表されていますが、この色彩が1,400年後の現代まで保護され続けてきたのは奇跡と言えるでしょう。
最後に275窟へ。この石窟が造られたのは北涼時代の5世紀、莫高窟でも最初期の石窟として知られています。ご本尊は交脚弥勒菩薩像ですが、下肢を交わらせる形式は中央アジアにルーツを持つ大変古いもので、この敦煌莫高窟の悠久の歴史を実感できるものになっています。 ここまで計3時間、仏教芸術の精華を十分に堪能しました。

 

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敦煌石窟文化財保護研究展示センターにある275窟のレプリカ

 

3. 西のかた「玉門関」を出ずればタクラマカン砂漠へ

100キロ先の漢代遺跡へ
昼食をはさみ、午後は車をチャーターして郊外に向かいます。郊外と言っても、ゴビ灘の中を100キロほど西へ走り、敦煌の西の関所「玉門関」を目指します。
敦煌の西の関所としては、漢詩「西のかた陽関を出ずれば故人なからん」で有名な「陽関」がありますが、あちらはほぼ何も残っていません。一方、玉門関は関所の遺構に加えて漢代の長城も残っており、人気観光地になっています。

2,300年前の長城と食糧倉庫
1時間半ほどかけて到着した玉門関では、「漢代長城」「河倉城」「玉門関」という、漢代に造られた3つの遺跡を見学しますが、まずはバスで漢代長城に向かいます。
有名な北京の八達嶺長城は明代、16世紀に造られたものですが、ここ敦煌の漢代長城はそれよりもはるかに古い紀元前2世紀に造られたもので、西方からの騎馬民族が侵入するのを防ぐために造られました。つまり、漢代はここまでが中国、ここから西は「化外の地」だったということになります。
また、ここを守る兵士の食糧倉庫として造られたのが河倉城で、当時は敦煌の街から船で食料を運び、ここ河倉城に貯蔵したのだそうです。
そして、見学のラストはタクラマカン砂漠に通じるシルクロードの関所・玉門関へ。正方形の構造物で、西と北に出入口があります。往時は、西方に旅立つ人は北口から入って検査を受けて西口に抜け、現在の新疆やインド、中央アジアを目指したということです。
西の出口から外を眺めればそこは茫々たるゴビ灘、ここから旅立つ人はさぞ心細かったでしょうし、また西方から玉門関にたどり着いた人はほっとしたことでしょう。ここ玉門関の外に広がるのは、21世紀の今でも静寂が支配する世界でした。
ただ、こんな砂漠の真ん中でもeSim「トリファ」で通信ができるのが現代の素晴らしいところです。アンテナが立っているのを確認してから、早速日本の友人に砂漠の風景を送信しました。

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玉門関
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漢代長城